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06日 11月 2013

沢木耕太郎著「流星ひとつ」(新潮社)

藤圭子の自殺

 

今年猛暑の続く8月の22日、かつての歌姫、藤圭子が投身自殺を遂げた。その死を巡って多くの憶測が飛び交った。やがて、「精神を病み、永年奇矯な行動を繰り返した挙句の投身自殺」という宇多田照實氏のコメントが出るに及んで彼女の死を巡る噂も下火に向かった。

彼女の死についての流言飛語は消えていったが、その死をめぐる謎は依然として霧が立ち込めたようなぼんやりした印象のままに置き去りにされた。

本書は彼女の死の根本原因に迫った唯一の記録として藤圭子の歌を愛した人々の記憶にとどまるだろう。

 

本書は1980年に刊行されるはずだった

 

本書は藤圭子が突然に歌手引退を表明した1979年秋に企画され、年末から沢木の藤に対するインタビューが重ねられ、1980年には出版準備までに漕ぎ着けた。沢木耕太郎31歳、藤圭子27歳。両者の青春時代真っ盛りのときであった。

沢木は藤圭子がどうして芸能界を去らなければいけないかを根本的なモチーフとして藤圭子に迫っていった。そのプロセスを全編インタビュー形式という前人未到の方法によって赤裸々に開示して見せた。こうしてまことに臨場感あふれる会話だけからなるノンフィクション作品が生まれた。

 

本書のさわりを読んでみてほしい

 

 

それは例えばこんなくだりで展開される。

 

「あたし、二つの歌を殺してしまったんだ。自分の歌を自分の手で。とてもすばらしい歌を、自分の手で死なせちゃったの。生まれて間もない・・・・歌が歌手の子どもだとすると、自分の子を殺してしまったわけ。駄目だよね、歌手としては、なっちゃないよね、ほんとに馬鹿だよね」

「なんていう曲?」

「ひとつはね、<恋仁義>っていうの」

「知らないなあ」

「そうだろうね、すぐ歌うのやめちゃったから。でも、いい歌なんだよ、いちばん好きなくらいの歌なんだ。さっき、石坂まさおっていう人が、一年くらいで枯れちゃったっていう話がでたけれど、これも沢ノ井さんの作品で、久しぶりに石坂まさおとしていい歌ができたんだ。あたしも気に入って、さあって歌いはじめたとき、あたし前川さんと婚約しちゃったの。それで歌うのをやめたわけ。こんなの歌えないよ、って」

「どうして?婚約なんか、別に歌と関係ないじゃない」

「関係あるんだよ。その歌のいちばんの歌詞はね、こういうんだよ。

            あなたと死んでも 命は命

            一人生きても 恋は恋

            惚れていながら 身を引く心

            それが女の それが女の

            恋仁義

前川さんと婚約していながら、惚れていながら身を引く心、なんて空々しくていやだったの。前川さんを好きだった女の人はきっといくらでもいただろうし、その人たちに対してだって、白々しすぎると思っちゃったんだ。こんな歌は歌えないって、たった一ヶ月で違う歌を出してもらっちゃったの。だから、ほんの短い期間しか歌わなかったから、知らないのは当然なんだけど、あたしのファンの中には、あの歌が好きな人がかなりいてね。時々、有線なんかで、ポツリとリクエストしてくれる人がいるんだ」

「あなたの性格を、ほんとによくあらわしている話ですねえ、それは」

「お客さんの反応でもわかるんだけれど、やっぱり、この<恋仁義>っていう歌はどこか魅力のある歌なんだろうね。最近、舞台とか、クラブで歌うことがあるんだけれど、ヒット曲でも、みんなに知られている曲でもないんだけど、聞いている人が喜んでくれるのがわかるんだよね」

「二曲、そういうのがあると言っていたけど、もう一曲はなんていう曲?」

「<別れの旅>ていうの。これも好きな歌だったんだ、阿久悠さんの作詞で、ね。その一曲前に、阿久悠さんが<京都から博多まで>を作ってくれて、これがかなり売れて、その第二作だったわけ。あたしは、むしろ<京都から博多まで>より好きだったくらいなんだ」

「どういう感じのメロディー?」

「夜空は暗く、心も暗く・・・って感じの曲なんだ」

「ちょっと、歌ってみてくれない」

「ここで?」

「そう、ちょっと、小さな声で歌ってくれないかな」

「駄目だよ、周りに人がいるのに・・・・」

「だから、小さな声で、低くでいいから。聞かしてくれないかな、その<別れの旅>を。あなたが好きだという曲を知らないのは、なんとしても話が進めにくいから。おねがいしますよ」

「じゃあ、一番ね。

            夜空は暗く 心も暗く

            さびしい手と手 重ねて汽車に乗る

            北は晴れかしら それとも雨か・・・

            愛の終わりの 旅に出る二人

という歌なの」

「いい歌ですね、ほんとうに。どうして、こんないい歌を葬ってしまったんだろう」

「この歌を出して、一ヶ月後に、前川さんと離婚してしまったの。いかにもぴったりしすぎるじゃない。<別れの旅>だなんて。そんなこと思いもよらなかったけど、宣伝用の離婚だなんて言われて、口惜しくて口惜しくて、それならもう歌いません、という調子で歌うのをやめてしまったの」

「馬鹿ですねえ」

「ほんと馬鹿なの。それで歌う歌がないもんだから、しばらくはB面の歌を歌ってた。馬鹿ですね、われながら。でも、やっぱり、あたしには歌えなかったよ。だって、四番なんて、こんな歌詞なんだよ。

            終着駅の 改札抜けて

            それから後は 他人になると云う

            二年ありがとう しあわせでした・・・・

            後見ないで 生きて行くでしょう

こんな歌詞を、離婚直後に、沢木さんだったら歌える?」

「どうだろう」

「歌手だったら、プロの歌手だったら、絶対に歌うべきなんだろうけど、あたしは駄目だった。駄目だったんだ・・・」

「結婚と離婚という、女性にとっての曲がり角に、そういう歌がやってくるという巡りあわせになってしまったところに、あなたの歌手としての運命があったんだろうな。なにも、そんなときに、よりによって、そんないい歌が、しかもそんな歌詞で、できてこなくてもいいわけだからね。それに、あなたがそんなあなたじゃなければ、それをうたい続けて、大ヒットさせたかもしれないしね」

「その二曲を殺さないで歌ったからといって、ヒットしたかはわからないけど、残念だなあ、もっと歌いたかったなあ、歌っておけばよかったな、という思いはあるんだよね」

 

 

歌手引退の理由は自殺にまで繋がっている

 

このくだりに藤圭子のこころの持ちようの核心の部分がよく顕れている。他人のげすな推量によって痛くもない腹をさぐらせたくないというけなげなまでのやせ我慢が氷柱のように吃立している。

それでいて手ひどい後悔に襲われ深く沈み込む。精神の深い浮き沈みに曝される姿がそこに見えてきて、思わず寄り添って支えたい思いを禁じ得ない。まさに「関係の絶対性」に耐えながら辛い時間を生きる姿が浮かび上がる。

藤圭子が歌手を引退し、本来ならば歌い続ければよかったという思いと、そうしてはならないという思いの葛藤を、ぼろぼろになって自栽するまで引きずって行かざるをえなかった理由もここによく見える気がする。

 

歌手を辞めざるを得ない辛い決心の引き金となった弾丸はやがて自らの命を絶つところまで達することを沢木耕太郎は確かに見届けてくれた。

 

閑話休題

 

ところで藤圭子が最も好きな自分の曲はなんだったか?

「女のブルース」だ。

夜中に、「女のブルース」をBGMに、ウオッカ・トニックを飲みながら、「流星ひとつ」を読むと、不覚にも涙が滲んでくる。

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