明治維新は革命だった
しかも三重の革命だった。
「政治権力を徳川幕府から奪い(政治革命)、次に廃藩置県と言うもう一つのクーデターで封建支配層の力を骨抜きにし(社会革命)、最後にその総仕上げとして財産の所有関係に手を付けた(経済革命)」
この大革命を大政奉還後わずか10年で薩長政府は成し遂げた。
この革命期には短期間に天地も揺るがす大変化が生じ、その変化は多くの事件を生んだ。それらの事件の一つひとつに光を当てることで、大革命の実相に迫るという意図が見事に果たされている。
明治維新は西南戦争で完成した
幾多の事件の中でも西南の役がもっとも興味深い大事件として浮かび上がっている。
西南の役はその中心にあって事件を指揮した主役の意図がいかなるところにあったかに関わらず、明治維新という大革命を完成に導いたといってよいだろう。
この大事件を機に、維新をリードした政治家の権力闘争に終止符が打たれ、大久保利通による権力装置が完成し、ひたすら富国強兵の道へと雪崩を打って進むことになったという意味で、維新は西南戦争をもって完成を見た。
西郷隆盛が意図したこと
とはいえ西南戦争の中心にあった西郷隆盛の意図がどこにあったかは大きななぞとして残されたままだ。
西郷には有名な遺訓がある。
「西洋は野蛮じゃ(中略)実に文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導くべきに、左はなくして未開蒙昧の国に対する程むごく残忍のことを致し己を利するは野蛮じゃ」(『西郷隆盛遺訓』)
文明国を標榜する西洋こそ野蛮だ。維新は文明開化の道をひた走るが、その果てに、西洋列強のような野蛮な国家を築きあげるのならば、それは西郷の意図した道ではない、という悲痛な叫びが聞こえてくる。
この遺訓の上に文明国日本の姿を描くとすれば、ひたすら富国強兵をめざし、西洋列強に伍してアジアを侵略する日本の姿は見えてこない。
「敬天愛人」を標榜した西郷の理念を実現する国づくりが目指されたはずだ。
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中田三郎 (木曜日, 20 2月 2014 10:12)
「西郷隆盛についての文章」は「維新の後始末」の著者のものですか、それともこのホームページの主催者の見解ですか?大変立派な見識だと思いますが。