書評:水野和夫著「資本主義の終焉と歴史の危機」(集英社新書)

 

資本主義の終焉が始まった

 

資本主義のシステムは行き詰まり、ゼロ成長、ゼロ金利、ゼロインフレの時代が到来したというのが筆者の主張だ。

 

この前提に立つと、これからの時代、成長は幻想にしか過ぎない、成長を追い求めるあらゆる政策はバブルの発生と崩壊という形で社会経済を混乱に陥れるだけに終わると考えざるを得ないということになる。

 

シンプルだが強烈なインパクトを持った主張だ。

 

なぜ資本主義は行き詰まったのかを著者の主張に即して辿ってみよう。

 

16世紀の「利子率革命」

 

16世紀に社会、政治、経済の大転換が生じた。領土が経済の基盤であった封建制が行き詰まり、資本が成長の基盤となる資本主義の興隆が確定的になったという意味での大転換だ。

 

この大転換期において経済は長い停滞を続けた。この故にこの期間は「長い16世紀」と称せられる。

 

「『長い16世紀』の資本主義勃興の過程は、中世の『帝国』システム解体と、近代国民国家形成のプロセスでもありました。このプロセスを通じて、中世社会の飽和状態を打ち破る新システムとして、近代の資本主義と国民国家が登場したのです」。

 

この「長い16世紀」には利子率が低水準を継続する現象が長期化した。16世紀の後半に、当時の経済先進地域のイタリア、ジェノバで利子率の長期的な低下が生じていた。17世紀初頭になると利子率は2%を下回る時期が11年も続いた。1619年には1.125%という低水準にまで低下した。

 

利子率の低下は経済のゼロ成長を意味し、経済成長のフロンティアが失われそれまでの社会経済システムの行き詰まりに逢着したものと理解できる。それ故にこの歴史的な利子率の低水準の継続は「利子率革命」と呼ばれる。

 

利子率は17世紀初頭にジェノバで2%を下回った時以降、1997年に日本で長期国債の利子率が2%を下回るまで最低記録を保持し続けた。

 

21世紀の「利子率革命」

 

日本の長期国債の利回りは1997年以降長期にわたって低水準を記録し、20141月時点で0.62%である。そして米、英、独においても2008年の金融危機以後は10年物国債は2%を下回り、先進国は長期的に低利子率の時代を迎えた。

 

つまり現在は17世紀以降400年ぶりに再び「利子率革命」の時代に入ったとみることができる。ということは社会経済システムの大転換期が始まったという理解がなされるべきであるということになる。

 

利子率の低位安定は利潤率の低位安定ということを意味する。つまり資本がすでに利潤を生むフロンティアを失い、経済成長のフロンティアも喪失したということを意味する。ということは21世紀は16世紀と同様に社会経済システムの大転換の時期だということになる。

 

つまり21世紀は資本主義が終焉を迎え、これに代わる新しい経済社会システムが生まれる時期にあるということだ。

 

「利子率革命」とともに資本主義も行きづまりを迎えた

 

たしかに資本主義の最後のフロンティアである「電子・金融空間」も金融危機の洗礼を受けてその限界が明らかになった。また後進国の市場経済化による新規フロンティアもエネルギーをはじめとする資源供給制約による資源価格の永続的な高騰と環境破壊の深刻化が制約となって行きづまりは目に見えている。

 

かくして経済成長は鈍化し、過剰設備による供給過剰によるデフレが継続し、資本の生み出す利潤率は傾向的に低落し続ける。

 

次期社会経済システムの姿を予想することはできない。確かなことはゼロ成長、脱成長を前提としたシステム設計を考えるしかないということだけだ。

 

行き詰ったがその先は?

 

以上が筆者の推論だ。大胆な仮説であるがゆえに魅力的だ。しかしその論拠はかなりきわどい。大転換の根拠はきわめて低水準の利子率が継続していること、同様の事実が16世紀のイタリアに現れ、時期を同じくして体制の大転換が生起したということだけだ。

 

「歴史は繰り返す。一度目は悲劇。二度目は喜劇として」。と書いたのはカール・マルクスだ。はたして「利子率革命」の歴史は繰り返されるか?

 

残念ながら資本主義は行き詰まりこそすれそう簡単には終焉しそうもない。形を変えながら生き延びていくはずだ。

 

なぜなら利子率が低落するのは市場経済における競争機能が正常に作動するからで、利潤率の傾向的低落は資本主義の本質に内在するものだからだ。

 

競争は過剰を生み出し、その故に利潤率は傾向的に低落(不況が長引く)する。そして恐慌あるいはバブル崩壊が過剰を暴力的に破壊する。同時に不況期における生産要素の新結合によるイノベーションが新しい需要を創出して、イノベーションに携わる起業家に先行者利得をもたらす。こうして利潤率は正常な水準に復帰する。この繰り返しが資本制の原理的な姿だ。

 

資本主義は変質する

 

したがって資本主義の行き詰まりは利潤率の低落によって生じるのではない。

 

新興国の経済成長に牽引されるグローバルな経済成長に伴う資源の有限性という制約が資本主義の前に立ちはだかることが行き詰まりの原因だ。エネルギー資源の制約、地球環境破壊という制約、食料資源の制約そして労働力人口の減少という制約がそれだ。

 

こうした制約のまえに経済成長は行き詰まる。脱成長、すなわち成熟への変質への軌道が必須となる。

 

そして日本がまさに真っ先にこの行き詰まりに逢着しているというわけだ。

 

ということで日本は脱成長、成熟への変質のベストプラクティスを実現しなければならないというミッションを期せずして負うことになった。