2013年6月エドワード・スノーデンが自らの生命を賭してアメリカのNSA(国家安全保障局)がアメリカをはじめ全世界の市民の監視活動を実施していること示す膨大な情報を公表しアメリカ政府の非合法行為を内部告発した。
この公表をサポートしたジャーナリストが本書の著者であるグリーンウオルトだ。著者はスノーデンとの接触からアメリカ政府の市民監視活動の暴露に至るまでの経緯を詳細に報告している。
6月3日の「ガーディアン」のホームページでの公表に至るまで、おそらくどの媒体にこの情報をリークするかがもっともリスクの大きな意思決定であったと思われる。なぜなら9.11以降テロ防止のためを大義に掲げさえすれば政府はすべてが許されると思われるほどの専制的な力を手中に収めているので、マスコミはこぞって政府の行動に否定的な立場を表明することに臆病になっていたからだ。
政府の活動を盲目的に受け止めるのではなく、少なくとも政府の行動の透明性を追求する姿勢を評価して著者たちはガーディアン紙を選択した。
そのガーディアン紙でさえ体制派ジャーナリズムとは一線を画しているとはいえ、政府の非合法活動を公表するに当たってはきわめて慎重にならざるを得なかった。
スノーデンの身上を確認したり、異常な精神状態にないことを確認したり、文書の信ぴょう性を確認したり、さらには政府の要請に従って事前に公表内容の審査を政府に求めたり念には念を入れる姿勢で対応した。
ガーディアン紙とのやり取りや、それを巡ってのスノーデンと著者との交信にもきわめて高度な機密性が要求された。公表前に政府がスノーデンの情報漏えいに感づけば、当然スノーデンは逮捕されるからだ。
著者とスノーデンの接触から内部後発に至るまでのこうした息詰まるようなやり取りが本書の魅力の一つだ。
本書のもう一つの特色は9.11以降の政府の市民の自由への侵害がとめどなく進展していることと、これに対してマスコミがほぼひとしなみに牙を抜かれ、政府の行動に対して批判的な論陣を張ることはおろか、政府の提灯持ちの対応に終始いているという実態を赤裸々に示しているということだ。
こうした流れの中で著者自身マスコミから反政府、反市民のレッテルを張られて、告訴さえされかねない状態にあった。そして有力なマスコミは著者を起訴すべしとの論陣を張ったほどである。
アメリカのマスコミがかほどまでに批判精神を喪失しているという実態は驚くべきことである。すでにアメリカ政府はマスコミを政府に従順なポチに仕立て上げたことで、言論統制による強力なパワーを確実なものにしたといえる。
こうしてアメリカ政府やマスコミによる中国の言論弾圧の批判はまさに自らを棚に上げてという格好になっていることを知らねばならない。
本書によってアメリカ政府の市民監視と隠微な言論統制の実態が明らかになったにもかかわらず、その後この衝撃が政府の行動を変えた気配はない。それが本書の読了後にある種の無力感になって読者を襲うはずだ。
スノーデンが身命を賭して内部告発したにもかかわらず、アメリカ政府による市民監視のシステムはその機能を停止したわけではない。むしろ内部告発などの「反政府的」な「犯罪」の再発を防ぐためにきわめて厳格な機密保護の仕組みが構築されたに違いない。
同時にこうした政府の「犯罪」をテロリストから国家と国民を守るための「愛国的行為」であるというプロパガンダを拡充し、同時にますますマスコミの政府に対する忠誠心を確実なものにする動きを強めているに違いない。
市民はこれにどのように対抗すればよいのか。
ふたつの方法が考えられる。
一つは暗号化技術を活用することだ。暗号化技術の進化は目覚ましい。ついに決して解けない量子暗号化技術さえ出現した。通常使われているリーズナブルな技術では絶対に破られないことはないが、監視しようとする機関がかなりの努力をしなければ解読できないはずだ。
従ってその程度の暗号化技術でも、監視の効率や効果を著しく低下させることに効果があるだろう。
そのうち暗号化されていないテキストは監視の対象としない状況になることさえ予測可能だ。
二つ目はデジタルからアナログへの回帰だ。情報がデジタル化されるがゆえに一網打尽にいわば効率的効果的に監視下に置かれている。とすれば重要な情報はアナログで記録し、郵便で伝達することで、強力な監視下から離脱できる。
まさにほんの少し不便な、ほんの少しスピードを犠牲にすることで快適な世界が得られるという皮肉な世界に我々は生きているということなのだ。
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