読書ノート:大前研一著『低欲望社会』(小学館刊)

日本は今かなり重度の閉塞感に覆われている。しかも多くの人たちはそれにそれほどの違和感を持たず平穏さを満喫しているように見える。この閉塞感に覆われた社会を大前氏は「低欲望社会」と表現したといえる。

一日1000円もあればコンビニの弁当で食欲を満たせる飢餓感を知らない時代に成長した若者たちは、上昇志向とは無縁な日々をそれなりに過ごすことができる。

そこでは、もっと豊かにとか、もっと上にとか、もっと良くとか、もっと多くをとかの欲望はカッコ悪いと遠ざけられてしまう。ある意味で自らを閉ざして、閉じこもってしまっているという意味での閉塞状況だ。

こうした閉塞感の原因はなんだろうか?

大前氏が突き詰めたその要因は、国家による中央集権的な統制ががんじがらめに国民や企業を縛っていること、に尽きる。

 

「安倍政治というのは、一言でいえば、“官僚依存による中央集権の統制国家”である。つまり、中央政府の役人がこまかいことまで自分たちの権限で決め、国民や地方や企業に押し付けている。その規制の中で、“目こぼしする”のも、“お灸をすえる”のも役人だ。安倍政権がやっていることは規制緩和どころか規制強化であり、役人が省利省益を拡大するためのマネージメント自体が目的になっている」。

 

本書は国民や企業に対して箸の上げ下ろしに至るまでに細かい規制の網を張り巡らしている、政府のマイクロ・マネージメントの実態の告発とそこから脱出するための処方箋の提案のために書かれた。

マイクロマネージメントの一例はこうだ。

 

「一例は、14年から始まった『教育資金の一括贈与を受けた場合の贈与税の非課税制度』だ。これは親や祖父母が30歳未満の子供や孫に教育資金を贈った場合、一人当たり1500万円まで贈与税がかからないという制度である。

しかし、この制度を使うために、金融機関に子供や孫の名義で専用口座を開いて贈与する資金を入金し、そこから入学金や授業料、保育料、学用品の購入費、修学旅行費、給食費などを引出して支払ったら、使途が教育資金であることを証明する書類(領収書など)を金融機関に提出しなければならない、という面倒くさいルールがある。しかも、入金した資金を30歳までに使い切らなかった場合は、口座の残額が贈与税の対象になる。

そもそも、高齢者の保有する資産を消費拡大へと活用する目的で、特例的に贈与税や相続税を非課税にするというなら、親や祖父母が贈った資金を子供や孫が何に使うかと言うことについて政府が口をはさむこと自体がおかしいと思う。親や祖父母にもらったお金でゲームソフトを買おうが、スポーツ観戦をしようが、旅行に行こうが、個人の自由ではないか。『とにかく3000万円までは何に使っても非課税』とすれば、高齢者を中心に溜め込んでいる1600兆円の個人金融資産が一気に子ども・孫世代へと移って消費が拡大するはずだ。

なのに、それらをすべて使途限定の“ひも付き”にしているということは、逆に言えば、中央の役人たちが規制を緩和したかのように見せかけているだけで、実際には手綱をまったく離していないということだ。安倍政治は、あらゆる分野で官僚が非常に細かいところまで差配して管理を強化し、国民や地方や企業に対しては『恵んでやる』という“上から目線”なのである」。

 

こうした大前氏の異論に対応したかどうかは知らないが、この制度は今年から、「一件当たりの支払金額が1万円以下で、年間総支払総額が24万円までは使途明細表を作成すれば領収書は不要」とほんの申し訳程度に改定された。

異論もあるので改善の姿勢を示したという、まさにお上のご意向を有難く思えという姿勢が見え見えの改定だ。使途内容を吟味する姿勢はいささかも緩んではいない。

政府の中央集権的な政策決定のありようは他国と比較することでさらにその悪さ加減が鮮明になる。

例えば人口が1686万人でしかない小国でありながら、世界第二位の農業輸出国であるオランダを実現したオランダの農政は際立った成果を産み出している。

ウルグアイ・ラウンド対策で20年間に42兆円もの国費を投下しながら、ますます農業を貧困化させている日本の農政と比べたとき、日本農政のひどさ加減がまことによくわかる。

オランダの農業政策は、

  • EU加盟を前提として、農業保護政策から離脱した「自由化」

  • 高付加価値のトマト、パプリカ、キュウリ、ポテトなど施設園芸農業にフォーカスし、しかも農地集約を徹底した「選択と集中」

  • IT活用と農業大学を中心として農家、企業を集積させて農業と食品の産業クラスターを形成した「イノベーション」

を三本柱とした。

オランダ農政と比較すると価格維持政策のために778%の高関税と補助金漬けで米作兼業農家の保護だけに一極化した日本農政の惨敗ぶりがより一層際立ってくる。

地方分権のありようもドイツと比較することで日本の中央集権制度の異様さがはっきりしてくる。

ドイツは終戦後中央集権制度が完全に解体されて、州と特別区による強固な地方分権制度が形成された。州は行政のみならず司法、立法の3権を完全に備え、外交も自由に展開し、独自の税制によって外国企業を優遇するなどして、それぞれの州が魅力的な生活、産業圏の実現を目指してしのぎを削って競争している。

戦前のドイツはヒトラーによる完ぺきな中央集権全体主義国家をその強みとしていたので、連合国はこの全体主義を可能にした中央集権制度の完全解体を占領政策の第一優先順位に位置付けて実行した。戦後ドイツの連邦制はこうした事情によって生まれた。

これに反して日本の全体主義は体制の中心に天皇をいただくことで、かつて丸山真男が指摘したように、中央集権の頂点が空洞化している、きわめて無責任な意思決定制度として運用されたために、GHQは背後に隠れていた強固な中央集権的官僚制を見過ごし、これを解体することなしに戦後体制が形成された。

むしろGHQは天皇制と官僚制を残存し、その上に載って日本国の支配を実行した。

日本がドイツと違って連邦制に移行するチャンスを逃したことが、今日の日本の閉塞感の真因と言うことができる。

こうした制度的な欠陥を改めるための大前氏はかつて『平成維新』(1989年刊)を著わし、道州制の実現を提案した。道州制は大前氏の尽力によって、自民党や民主党の政治公約に掲げられるほどまでにはなったが、一向にその実現に向けての動きは本格化しない。

唯一橋下徹氏の維新の会がこれを目指してその一歩として大阪都構想を掲げたが、それも住民と意表で否決され、夢の実現から遠のいた。

ではどうするか?

 

道州制の導入はずっと提言しているが、その実現にはまだ時間がかかりそうなので、とりあえず現在の47都道府県と20政令指定都市に、日本の将来にとって重要だと思われる「真の成長戦略」を1自治体1アイデアずつ集中的に実行してもらうのである。「特区」のようなチマチマしたものではなく、都道府県や政令指定都市をまるごと対象にして、独自のプロジェクト案を募集する。

重要なポイントは、あくまでも都道府県や政令指定都市が主体的に、自ら一つのプランを考えて手をあげることだ。国が中央から勝手に決めるやり方では失敗する。都道府県・政令指定都市ならではのニーズや戦略が反映されないからである。

各プロジェクトは5年くらい試行し、その中で成功例が出来たら、他の5つくらいの都道府県・政令指定都市に同じ仕組みを広げ、さらに5年後には全国に波及させる。

このフラグシップ・プロジェクトの“肝”は、たとえば「英語教師は日本の『教員資格』をもっていなければならない」といった全国一律の規制を打破することだ。今は国のがんじがらめの規制が地方の自由を奪い、結果的に成長を妨げているからである。

 

「変革は辺境から」とは前神戸大学教授の加護野忠男氏の名言だ。まさに多様な地域価値の創造、実現こそが、中央政府の規制との局地戦の戦場となり、この戦いを勝ち進むことしか、我が国の閉塞感を打ち破る手立てはない。

大前氏もようやく地方からの改革への道を探りだしたということだ。