1944年6月6日、計画から2年2ヶ月を要し、300万人の将兵を投入した、市場最大のノルマンディー上陸作戦が始まった。
本書はノルマンディー上陸作戦がどのようにして決断され、実現に向けてどのような組織つくりが行われたのか、そしてノルマンディー上陸からベルリン陥落に至る作戦がどのように実行されたのかを独特の切り口で分析する。
その独特さは歴史の中で人間が多くの選択肢の中から一つを選んで下された決断が、その後の歴史を大きく決定してしまう分岐点になることがあり、その分岐点を拠り所に歴史を追体験するという方法論に見ることができる。
連合軍の勝利を決定付けた分岐点
「冷戦研究の泰斗ジョン・L・ギャディスによると、歴史を複雑系として捉える場合、絶対的な因果関係ではなく、偶発的な因果関係の連鎖に対する洞察が重要となる。だからこそ、歴史家は事象のモデル化よりシミュレーションを好む。人間は多くの可能性の中から決して後戻りのできない一つの分岐点を選び、歴史を創っていく。それが小さな選択のように見えたとしても、その後の歴史は多数の原因とそれらが交わるその分岐点を境に大きく変わっていくことがまれではない。ノルマンディー上陸作戦においても、そうした不可逆的なターニングポイントがいくつもあった。
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間接戦略を否定して直接戦略を選択する
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「6月6日にノルマンディー上陸」という決断を下す
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戦略爆撃目標をフランス国内の輸送機関とする
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機動力を組織化する
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消耗戦と機動戦を総合する」
アイゼンハワーのリーダーシップ
しかし本書の魅力はこの複雑な歴史的プロセスの分析もさることながら、この作戦を勝利に導いた最高司令官アイゼンハワーのリーダーシップの解明にある。
「士官学校時代はフットボールとポーカーに明け暮れ、入隊後も戦場とは長らく無縁で、大佐で退役し、後は悠々自適の人生を送りたい、と思っていた平凡な男に、われこそは人類共通の敵を倒す十字軍の頭領たらん、という共通善を志向する志を与えたのである」。
なぜ凡人であったアイゼンハワーが非凡人に変身したのか、彼はなぜ史上最大の作戦のリーダーとして歴史に名を留めるに至ったのか。
平凡人アイゼンハワーはいかにして非凡人に変わったのか
アイクが非凡人化した要因を筆者は次のように解明する。
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職人道を真摯に追求、実践したこと
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複数のすぐれたメンターに恵まれたこと
陸軍きっての教養人であるコナー、カリスマの手本そのものだったマッカーサー、参謀の鏡としてのマーシャル
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類まれな文脈力を身につけたこと
文脈力は文脈の察知、返還、創造に関わる知の作法である。見えないものを見、一見関係なさそうなもの同士の間に道筋をつけるパターン認識の文脈力こそ、あらゆる職業に必要な至高の能力であるとわれわれは考える。アイゼンハワーの文脈創造力は、現状に満足せず高みに向かって努力する職人道の実践、師から受け継いだ優れた実践知、師の一人であるコナーが伝授した物事の関係性にたいする洞察を深めるリベラルアーツの知識、そしていくつかの戦場経験によって培われたのではないだろうか。実践理性の方法論は、演繹よりは帰納、さらには仮説推論と言える。
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アメリカ陸軍という伸び盛りの組織に属していたこと
39年9月、ルーズベルトは熟慮の末、マーシャルを新参謀総長に抜擢した。マーシャルは日独伊三国同盟に対抗すべく、陸軍の拡大と近代化を決定し、時代遅れとなった老将校団のリストラを断行した。アイゼンハワーやパットンは上の世代が一掃され、いわば重しが取れたおかげで、活躍の舞台を与えられたのである。
アイゼンハワーのリーダーシップはいかにして可能になったのか
続いて問いかけるべきは、こうして非凡人化したアイゼンハワーの類稀なリーダーシップは何によって可能になったのだろうかという疑問だ。
著者によるとリーダーシップの本質は「実践知」にあるとされる。
「リーダーシップの本質は理想主義と現実主義、それらの不断の緊張関係の上に進展する動的均衡プロセスにある。しかも両者のバランスは静態的な分析によってではなく、弁証法による動態的な総合という危うい実践知によって担保される」。
そしてこの実践知は実践と知性を総合する賢人の備える智慧だ。
「フロネシス、すなわち実践知は実践理性という訳語もあるように、実践と知性を総合するバランス感覚を兼ね備えた賢人の智慧である。利益の極大化や敵の殲滅という単純なものだけではなく、多くの人々が共感できる善い目的を掲げ、個々の文脈や関係性の只中で、最適かつ最善の決断を下すことができ、目的に向かって自らもまい進する人物(プロニモス)が備えた能力のことだ。予測が困難で、不確実なカオス状況の中でこそ真価を発揮し、新たな知や革新を持続的に生み出す未来創造的なリーダーシップに不可欠な能力でもある」。
実践知リーダーの備える能力とは
また著者は実践知リーダーは次の6つの能力を備えていると考える。
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善い目的をつくる能力
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ありのままの現実を直観する能力
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場をタイムリーにつくる能力
言葉の意味は文中での位置や他の言葉との関係性によって確定する。一方で人は非言語的な暗黙知も、身体的な共振、共感、共鳴によって察知する。人はそうした現実や他社とのダイナミックな関係性の只中に生きている。人と人、人と物事、物事と物事、部分と全体、それらの関係性を察知し、新たな関係性を保管したり、転換したり、創発させたりする力を「文脈力(Contextualizing Capacity)と呼びたい。
それまでの自己を超えたところに真理を発見する観察はその場に棲み込んで初めて可能となるが、他者や環境に同質化してしまうと全体像を見失ってしまう。その場に棲み込むことと、物事をあるがままに見ることの両立、つまり主観を差し挟まず、相手の視点に立つことと、そうした自分を相対化することの双方を同時に行わなければならない。場からせり出してくる情報を無心に浴びて自らの暗黙知を豊かにするとともに、他者の心中でなにが起こっているかを予測し、その意味を総合的に解釈する。こうした働きを適時かつ適切に行える人が文脈力ある人だ。
アイゼンハワーはこの文脈力に恵まれていた。しかも常時、磨いていた。その力を育んだのは、ポーカーやブリッジといったカードゲームであった。しかも、カードプレイヤーとしても軍司令官としてもフェイントの達人だった。他人の心の中を分析し、それぞれがどんなオプションを持っているのか、それらのオプションは本人以外の他人にも知られてしまった場合、どう行動したら勝つことができるかを予測できる才能を持っていた。
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直観の本質を物語る能力
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物語を実現する能力(政治力)
リーダーシップはある人の持つパワーや影響力に関連して定義することができる。それを「目標達成に向けて人々に影響を及ぼすプロセス」と広く定義すると、人間が持つ社会的パワーの基盤は次の6つの力で構成される。
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合法力(組織から公的の与えられた権限に由来する力)
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報償力(報酬を与える能力に由来する力)
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強制力(処罰する能力に由来する力)
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専門力(専門的知識や技能に由来する力)
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親和力(互いの一体感に由来する力)
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情報力(情報の量や質に由来する力)
このうち、もっとも人間を強く拘束するのが親和力だ。親和力とは、人が他社、集団、規制、役割などに同一性(一体感)を認めた時に拘束される力である。別名「愛による統制」といってもよい。親和力に基づく統制は、人を最も強く、深く統制するが、一体感に基づいたものなので「意識されない自己統制」となる。アイゼンハワーのパワーマネジメントの本質はまさにこの親和力にあった。「この人のためなら死ねる」
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実践知を組織する能力
アイゼンハワーは自分ですべてを囲い込もうとせず、各組織にいるすぐれた人材をうまく使った。それはアメリカ軍の組織がドイツ軍はもとより、味方のイギリス軍よりも自律分散型、すなわちフルクタル性が高かったことも影響していた。
歴史にあえてifを持ち込む
歴史にifを持ち込むことは禁じ手とされている。しかし著者はifをあえて考察することで、歴史上の人物が下した意思決定のプロセスやその決定の意味をより鋭く際立たせる効能があると説いている。
「歴史を通じて未来の物語をつくるために有益なことがある。歴史上の出来事に関して、他にどんな可能性があったのかを検討してみるのだ。歴史は単なる過去の記録ではなく、未来創造のための意味ないしは教訓を引き出す格好の題材である。そのためには史実の背後にある関係性ないし文脈の洞察が不可欠になる。意味は関係性の中から生成されるからである。
洞察を働かせるためによい方法がある。歴史に、通常は禁物と言われるif(もしこうだったら・・・)をあえて持ち込み、史実に基づくシミュレーションを行ってみるのだ。そうした過程を通じて、我々は当時の人々が下した決断のプロセスをより深く理解することができる。そこから多大な教訓が得られるのだ」。
もしノルマンディー上陸作戦が一年早く実現していたら
著者はノルマンディー上陸作戦に関して、二つのifを持ち込んで検証している。
一つは上陸作戦が1944年ではなく43年に行われていたら。というifだ。
「戦死研究科のハロルド・C・ドイッチェらが詳細にこれを論じている。
それによると、43年の時点で、連合軍は大陸侵攻を実行するだけの戦力を十分に持っていた。特に侵攻戦力の中心を担ったアメリカ陸軍は43年までにその戦力が頂点に達しており、それ以降は海兵2個師団が追加されただけだった」
「もし43年に上陸作戦が行われていたら、戦争の最後の1年間で殺されたユダヤ人200万人の命も助かっただろうし、東ヨーロッパをソ連に明け渡すこともなかった。彼らのIFが正しいとすると、ノルマンディー上陸作戦の敢行を渋り、ワニの腹から攻める間接戦略にこだわったチャーチルは判断ミスを犯していたことになる」。
もしヒトラーがソ連に向かわずスエズ運河の制圧を優先していたら
第2は、ヒトラーの戦略に関するifである。
「40年のフランス崩壊後、イギリスはエジプトとスエズ運河を機甲1個師団のみで防衛していた。一方のドイツは北アフリカに未使用の装甲40個師団を要していたので、エジプトとスエズ運河をやすやすと占領できた可能性が高い。その結果フランス支配下の北アフリカ(モロッコ、アルジェリア、チュニジア)は枢軸軍に占領されてしまい、イギリスは地中海の放棄を余儀なくされる。そうなると、地中海に面したギリシャ、そして隣のユーゴスラビアはドイツとの和平交渉を始めざるを得ない。ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアはドイツの味方である枢軸国だったので、ドイツは一兵も出すことなく、東及び南ヨーロッパを支配することができた、というのだ。
しかもスエズ運河を占領できると、ドイツ軍がシリア、アラビア半島、イラク、イランを蹂躙し、戦争遂行に不可欠な石油を無尽蔵に入手できる。そしてアラブ地域とイランの占領によって、ドイツは3つの「天恵」を手に入れる。まずは中立国のトルコが孤立する。さらにイギリスのインド支配に脅威を与える。コーカサスとカスピ海沿岸にわたるソ連の油田地帯をドイツ軍の火砲と戦車の射程内に収めることができる。
結果、トルコは連合軍に加わるかドイツ軍に国土の通過を認めるかの選択を迫られ、イギリスはインド防衛に専心せねばならず、ソ連はドイツとの和平の継続を余儀なくされる。東部戦線におけるソ連の戦力増強を当てにできなくなれば、アメリカは地中海における大規模な水陸両用作戦を遂行できなくなる。さらにアメリカは太平洋地域で増大する日本軍をも迎え撃たなければならない・・・・。
ヒトラーがソ連の主面を攻める直接戦略ではなく、北アフリカ侵攻という間接戦略を採った場合、第二次世界大戦の結果はこうも変わった可能性がある」。
もし日本が真珠湾ではなくウラジオストックに侵攻していたら
第三のIFは日本の例だ。
「アメリカの軍人アルバート・C・ウエディアミヤーは、第二次世界大戦において日本は「太平洋でアメリカとことを構える」という大きな戦略的錯誤を犯したと述べる。ではどうすべきだったかというと、ソ連の沿海州、例えば東部シベリヤの要衝地ウラジオストックに攻撃を加えるべきだったと主張する。結果はどうなるか。
ソ連は東部シベリヤに大兵力をとどめ置かねばならず、結局、西からはドイツ、東からは日本と、二正面作戦を余儀なくされる。それによって日本の同盟国ドイツが大いに助けられ、モスクワは陥落、スターリングラードも同じ運命をたどったろう。そのドイツ軍がさらにコーカサスの占領まで成功させたら、ドイツはさらに長期にわたって戦争を継続することができた。「形勢悪し」とみるアメリカの参戦はもっと遅れ少なくとも枢軸側は戦争を手詰まり状態に持ち込むことが可能だったかもしれないと述べている
リーダーの決断がその後の歴史を創っていることが実感できるのである」。
もし日本がポツダム宣言を7月26日に受諾していたら
ここで著者に刺激されて、日本の終戦の決断を巡るifを考えてみたい。
日本の無条件降伏がポツダム宣言を受諾した45年8月14日ではなく、ポツダム宣言が発せられた7月26日、あるいは沖縄戦が終了した6月20日、さらに遡ってドイツが無条件降伏した5月8日に行われていたとすればというifだ。
日本の降伏が早期に行われていたなら、8月6日の広島、8日の長崎への原爆投下は行われず、20万人を超える市民の虐殺も避けられたことになる。
また8月9日のソ連の参戦も回避され、それに続く70万人にも上る日本兵捕虜のシベリア抑留も避けられていたことになる。
日本の降伏の意思決定はまさにリーダー不在の無責任体制の中で延々と続いた小田原評定の末、最悪のタイミングで漸く行われるに至った。
今年の終戦記念日には終戦を巡るifをあたうかぎりの想像力を駆使して構想して、日本人のリーダーシップの欠陥について考えを深めてみたい。
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