以下は日経新聞9月17日に掲載されたギデオン・ラックマン氏(チーフ・フォーリン・アフェアーズ・コメンテーター )のコラムに基づくブログです。
習近平個人崇拝の中国人民への急激な浸透が進行する中で、
中国の国家的なリスクがマグマのようにたまり続けていく。
「習氏への個人崇拝は、中国の教育を受けた中間層や政府高官らにとっては本質的に屈辱でもある。
彼らは習氏の思想を毎日、特別なアプリを使って学ぶことを義務付けられている。
習氏の思索に対し尊敬の念を表明し、
『澄んだ水と緑の山は金山銀山にほかならない』
といった習氏の好む言葉を唱えることが求められる。
これをとんでもないとか失笑に値すると思う者は、
賢明にもその考えを口にすることはないだろう。
つまり、習氏の個人崇拝が進む中で中国の体制には今、
偽善と恐怖がどんどん染み込みつつあるということだ」。
中国の抱えるリスクとは何か。
それは習近平思想を絶対化するドグマと13億人の個々人の思想信条との相克だ。
習近平思想には中国社会が目指すべきビジョンが欠落している。
ビジョンが大多数の人民に共有されてはじめて権力は正当性を持つ。
ビジョン無き権力は恫喝と欺瞞と隠蔽とによる専制に向かわざるを得ない。
この時権力は恐怖によって人民を支配する。
恐怖が個々人の思想信条の自由を簒奪し、独裁制が完成する。
同時に10%の支配者層と90%の非支配者層との絶望的なほどの格差社会も完成する。
このような社会で多少の経済的な豊かさを得ることができたとして、
果たしてそれは人民の幸福を実現するであろうか。
少なくとも1億人だけでなく、12億人が自由闊達に生きることのできる社会こそ、
真に豊かな社会の実現につながるはずなのだ。